高岡冷蔵株式会社

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沿 革

大 正
大正7年 10月

富山県高岡市中島町に高岡産業株式会社を設立、製氷販売業 並びに製釘業を営む。
資本金100,000円
代表取締役に平能伊右衛門が就任。

大正9年 7月

代表取締役 平能伊右衛門が退任。

大正9年 7月

代表取締役に四津谷貞次郎が就任。

大正15年 8月

資本金を70,000円に減少する。

昭 和
昭和6年 1月

代表取締役 四津谷貞次郎が退任(逝去)。

昭和6年 5月

代表取締役に長井佐市が就任。

昭和10年 10月

資本金70,000円増額し、新資本金140,000円とする。

昭和11年 5月

製釘伸線施設を廃止 鉄筋コンクリート2階建冷蔵庫を建設。

昭和11年 5月

代表取締役 長井佐市が退任。

昭和11年 7月

代表取締役に荻布宗太郎が就任。

昭和12年 8月

木造2階建冷蔵庫を建設。

昭和19年 11月

商号を高岡冷蔵工業株式会社と改称する。

昭和23年 7月

商号を高岡製氷冷蔵株式会社と改称する。

昭和23年 9月

資本金360,000円増額し、新資本金500,000円とする。

昭和24年 12月

北陸水産販売株式会社(高岡市二番新町)を合併し、新資本金625,000円とする。
工場を二番新町工場と称す。

昭和26年 10月

資本金を1,375,000円増額し、新資本金を2,000,000円とする。

昭和28年 7月

市沢製氷所(高岡市伏木古府)を取得し之を、伏木工場と称す。

昭和34年 9月

二番新町工場に、鉄筋コンクリート平屋建冷蔵庫を増設。

昭和34年 12月

資本金2,000,000円増額し、新資本金4,000,000円とする。

昭和35年 3月

昭和12年8月建設冷蔵庫(中島町)を取毀し、鉄筋コンクリート2階建冷蔵庫を建設。

昭和37年 2月

代表取締役 荻布宗太郎が退任(逝去)。

昭和37年 3月

代表取締役に荻布一郎が就任。

昭和37年 4月

氷見漁業販売連合会(氷見市中央町)に氷販売所を設置し氷見氷販売所と称す。

昭和40年 10月

資本金8,000,000円を増額し新資本金12,000,000円とする

昭和40年 11月

富山県高岡市下黒田に子会社高岡市場冷蔵株式会社を設立。

昭和45年 5月

子会社高岡市場冷蔵株式会社に第2号冷蔵倉庫を建設。

昭和46年 4月

高岡市場冷蔵株式会社を吸収合併し市場工場と称す。

昭和46年 9月

資本金12,000,000円増額し、新資本金24,000,000円とする。

昭和46年 11月

氷見氷販売所を氷見漁業販売連合会に営業権利譲渡。

昭和46年 12月

富山市西二俣に冷蔵庫建設用地取得。

昭和47年 4月

市場工場に第3号冷蔵倉庫を建設。(総収容能力3,374トン)

昭和49年 5月

伏木工場が火災類焼事故により、製氷及び冷蔵施設を全面廃止する。

昭和49年 10月

伏木工場跡地を売却する。(富山工場建設資金調達のため)

昭和49年 10月

資本金24,000,000円増額し、新資本金48,000,000円とする。

昭和50年 2月

富山市西二俣に冷蔵倉庫を建設し、富山工場第1号倉庫と称す。(収容能力6,464トン)

昭和50年 11月

二番新町工場を廃止し、売却する。

昭和52年 5月

市場工場第1号倉庫屋上に、製氷設備を新設する。(10トン/日産)

昭和52年 9月

富山工場に保税上屋許可を取得。(指令438号)

昭和54年 6月

富山工場に第2号倉庫を建設。(収容能力2,361トン)

昭和54年 9月

倉荷証券発行許可を取得。(東海倉第262号第9号)

昭和56年 6月

富山工場に第3号倉庫を建設。(収容能力1,317トン)

昭和57年 2月

中島工場を廃止し取毀す。(収容能力1,370トン)

昭和58年 9月

富山工場隣接地に工場用々地1,500坪取得。

昭和59年 4月

富山工場に第4号倉庫を建設。(収容能力2,018トン)
(富山工場総収容能力12,160トンとなる)

昭和60年 7月

富山工場の保税上屋許可を廃止する。

昭和63年 12月

射水郡小杉町流通センター青井谷に、冷蔵庫建設用地を取得。(3,057.9坪)

平 成
平成元年 2月

中島工場跡地を売却する。(654.76坪)

平成元年 6月

射水郡小杉町流通センター青井谷に、小杉工場第1号倉庫を建設。(収容能力5,405トン)

平成元年 11月

小杉工場に保税上屋許可を取得。(指令349号)

平成元年 12月

代表取締役 荻布一郎が、取締役会長に就任。

平成元年 12月

代表取締役に、中山弥八郎が就任。

平成3年 4月

商号を高岡冷蔵株式会社と改称する。

平成9年 7月

取締役会長 荻布一郎が退任。(逝去)

平成15年 12月

富山工場に保税上屋許可を取得。(指令号)

平成17年 12月

代表取締役 中山弥八郎が退任。

平成17年 12月

代表取締役に、酒井清が就任。

平成19年 12月

富山市西二俣91-1(現富山工場隣接地)に新富山工場を建設。
(収容能力14,616トン)

平成20年 4月

富山工場12,160トンを廃止し取毀す。(北陸新幹線が工場を通るため)

平成21年 12月

代表取締役 酒井清が退任。

平成21年 12月

代表取締役に、徳丸一郎が就任。

平成26年 9月

富山工場屋根上 ソーラーパネル(746.8kw)設置
売電事業開始

平成28年 11月

小杉工場 ドックシェルター完成。

平成29年 12月

代表取締役 徳丸一郎が退任。

平成29年 12月

代表取締役に、荻布宗一が就任。

100年のあゆみ

写真

当社では創業以後、暫くは苦難の経営が続いていました。
荻布宗太郎四代目社長は、その頃、当地元では思いも及ばぬ《冷蔵庫》の新設という断を下されました。
遠洋漁業・海運業等々手広く事業展開をなされていたその知力・胆力を発揮なさったもので、現業の確固たる礎を築いて下され、その後も長きに及んで、数知れぬ教訓をお遺しになっています。
そのお導きを永く社歴に留めるため、北陸新幹線開通にあわせ今般、全国有数の機能を備えもつ最新鋭《冷蔵庫》の建造を記念して、その勲に感謝の意を表し、将来を誓うべく偉大なるこの先人の胸像の製作を発意した次第であります。

平成十九年十一月吉日 造之
高岡冷蔵株式会社
役職従事者 一同

高岡冷蔵工業株式会社創設者 荻布(おぎの)宗太郎。(1899-1962)
宗四郎の長男として富山県高岡市に生まれた。
富山弁で「かたいちがいもの」と形容される代表的人物であろう。意味は通常の頑固さをはるかに超えた人物の意である。高岡の魚河岸は300年来、加賀藩の庇護を受けた越中全域の中心市場だった。
宗四郎はそれほど大きい規模ではないが、魚商人のひとりだった。彼は北海道・樺太の海産物を買い付け、北陸や関西方面に売り捌いた。北洋の海産物を船で運び、北陸線で関西に運び財を成したのである。

後継者・宗太郎が遠洋漁業へ進出したのは大正5年頃で、昭和6年までに西カムチャッカ、沿海州地区に9漁場をもち、鮭鱒定置網漁業を経営していた。
また、「荻布海商」を設立し、海運でも大活躍したのである。
さらに、前後して母船式カニ工船、母船式鮭鱒沖取漁業、北千島鮭鱒定置網漁業にも参加していた。
「露領漁業」が激動期を迎えるのは第一次世界大戦からである。ロシア革命で不安定な経営を余儀なくされ、ロシア国営漁業も進出し、戦後の不景気とあわせて、日本の北洋漁業は壊滅的打撃に見舞われた。
くだって、昭和7年全国中小漁業41社が合併して、「北洋合同漁業株式会社」を組織した。この会社はその後、大企業である「日魯漁業株式会社」と合併し、「新日魯漁業株式会社」として発足した。
ここに日本の北洋漁業は一本化された状態だった。
しかし、宗太郎は経営の難しいオホーツク海最奥部シェレヨ湾ギジカ地区で個人経営を認められていたから、ここに事実上16漁場を経営したのである。荻布海商は10隻の船舶を保有していたから、海運と漁業経営を連携して一段と興隆を迎えたのであった。

参考文献 : 富山県北洋漁業の歩み 富山県北洋漁業史編纂委員会
高岡市史 下巻  高岡市史編纂委員会
年表 昭和史  岩波ブックレット シリーズ昭和史 NO.15

●高岡工場 完成

高岡工場

高岡工場
高岡工場

■高岡冷蔵株式会社 本社

富山県高岡市下黒田777
電話:0766-21-2450 FAX:0766-21-2912

■富山工場

富山県富山市西二俣91-1
電話:076-434-2511 FAX:076-436-1508

■小杉工場

富山県射水市流通センター青井谷1丁目9
電話:0766-56-3100 FAX:0766-56-3288

■営業エリア

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